小田野直武と秋田蘭画
サントリー美術館で開催されている、
「小田野直武と秋田蘭画~世界に挑んだ7年~」
を観てきました。
お客様からちょうだいしたチケットで僕もその存在を知った、小田野直武。
彼は知らずとも、杉田玄白が翻訳した「解体新書」は皆さんご存知でしょう。
その挿絵を描いた人物、それが秋田藩角館生まれの武士、小田野直武です。
江戸時代の中期、彼を中心に秋田藩の武士たちによって、西洋と東洋の技法や表現が融合した画が描かれました。それらを現在「秋田蘭画」と呼んでいるそうです。
秋田蘭画は、遠近法や陰影法などの西洋技法と中国由来の写実的な表現を用いています。
近くの景色や物は細かい線や陰影を用いて拡大して描き、遠くは淡くぼかしながらも繊細に、風景や小さな鳥、人物などの陰まで描き、遠近法で奥行きを出す。
とても大胆でかつ繊細な、独特の構図となっているのが特徴です。
今、僕なんかが見ても、昔の絵って感じがなく、斬新で今っぽいというか、見ごたえ十分の作品たちでした。
手前の鳥や花たちは、羽の重なりや花びらのゲラデーションなどとっても細かいところまで描かれていて、それは伊藤若冲の絵を思い出しました。
そういえば、若冲が弟に家業を譲って本格的に絵を描き始めたのも、ちょうど同じくらいの時期だったと思います。
東西で、いや日本全国で、このような優れた画家たちが自分なりの表現を模索しながら生きていたんだなー、と思い耽ってみたりして。
こんなにも優れた作品たちですが、その数は少なく、その理由は、この製作期間が7年間しかなかったこと。小田野直武や佐竹曙山、佐竹義躬といった中心メンバーたちが同時期に相次いで死んでしまったこと。その死も謎が多いそうで、なんとも数奇なものです。
この展示を観て、小田野直武という人が、25歳で平賀源内のいる江戸に出て、そこでいろいろな人物に出会い、彼らに影響されながら、様々な技法を学び、自分のものにしていく過程を知ることができました。
その過程で、彼は新しく出会うものに対してとても素直に吸収していくわけです。会場には写生図がたくさん展示されていたり、優れた作品を模写しながら何度も練習し、勉強していることがうかがえました。
これだけのものを吸収するさまは、まさにスポンジのよう。
そして、彼の人間的な魅力も多くの出会いを生んだのだろうなと。
きっと、彼は、ちょっと気になる奴で、なんだかかまってやりたくなるような奴で、人懐っこさや真面目さがある、すげーいい奴だったんじゃないかなー、なんて勝手に想像しちゃいました。
もしも、32歳でこの世を去った小田野直武が、もっと長生きしていたら、一体どんな絵を描いたのか?秋田蘭画は、どう進化していったのか?
観たい気もしますが、こうして今、彼の残した数少ない作品を観れるだけでも、幸せなことかもしれません。
作品もそうですが、彼の絵に対する姿勢や努力の跡に、僕としては何より考えされられました。自分も表現者として、様々な技法(テクニック)や表現(配色や色の出し方など)をマネて、学んでいきたい。その為には素直な心と人との出会いがなければいけないんだなと。
とても有意義な時間でした。
imaii colorist 髙橋拓也
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